置物の最近のブログ記事
日本には侘び寂び、閑寂・清澄、枯淡の境地などという本来ならば負の感情や衰退などを意味する様な、しみじみとした哀愁や不完全を愛する文化や美があります。それとは逆に超絶技巧と呼ばれる明治工芸の作品たちには、そのほとんどがきらびやかで色彩鮮やかな意匠が多く、完成された美が求められます。前原さんの作品からはその相反する様に思える二つの文化を感じることが出来ます。寸分の狂いも許さないその技術で、不完全な哀感を表現する氏のセンスに惹かれました。
まるで本物の大理石と錯覚してしまうこの台はどこにも継ぎ目はなく、一木のサクラから彫りだされています。鋤鋏やカミソリも一木から彫りだされており、重たそうな見た目と裏腹に細部まで繊細に彫り込まれ、恐ろしく軽く仕上げられております。
ご本人はただ黙々と彫り続けるだけ、塗り続けるだけ。とおっしゃいますが、その刀痕さえ一切残さないスタイルは、想像以上の労力と妥協を許さぬ執念が必要です。実際この作品も本当に長い時間をかけて制作して頂きました。
錆びれた風景の中にもどこか人がいた気配を感じる作品です。
size 61cm-24cm-3cm(h) 台のみ
恐らく最少の自在龍です。しかし、ただ小さいだけではなく、自在としての魅力が掌の中で存分に味わうことが出来る秀作です。小さい作品の中にさらに細かいパーツが上手く重なり合い、驚くほどスムーズに、ぐにゃぐにゃと動かせる様に仕立てられております。それがとても心地よく、ずっと触っていたくなる作品です。
壽堂さんは、古典の自在研究にも献身的に取り組まれております。その事もあり、古典作品を好む自在コレクターや研究家の共通認識をくすぐる、玄人受けする作品に仕上がっております。
今作は当店仕様に、尾に剣を持たせ、火炎などの部分と共に金で特別に制作して頂きました。胴体部分などは銀製、燻し仕上げです。
size 8.8cm long
満田さんは将来日本の工藝界を代表される方になられると思います。
工藝作家というのは作家の個性も大事ですが、まず職人でいなければいけません。鍛練に鍛練を重ね体得する伝統的な技法やストイックな姿勢と忍耐が必要です。
満田さんはその様なところでとても秀でた人です。かつてのパトロン文化や工房製作が難しくなっているこの時代に、お一人でこの様な自在置物を造るのは本当に大変なことです。
その様な環境下ですが、作品の細部へのこだわりなどを見れば、もはやあの好山ブランドの虫たちをも上回るものです。
まだお若い方なので、これからもっと成長し技術も熟練されていかれると思います。まだまだ造って頂きたい動物もありますし、四分一銀など他の素材の追求など、これからが本当に楽しみです。当店も満田さんの製作を微力ながら支えていける様頑張っていこうと思っております。
本作品のクモは本当に良くできております。足の先まで細かい仕事が施され、又置物としても絵になります。当店ではお尻にフックを引っかけ、天井から吊るして楽しんでおります。
H25×W48×D50mm
銅 ブロンズ 真鍮
SOLD
これぞ超絶技巧、見る者を思わず唸らせる驚愕の彫技です。
何とこの作品はすべて一本の木から彫りだされているのです。顔を近づけ、ルーペで間近に作品を見てもその事実を確認するのは難しいです。しかし、やはりどこにも継ぎ目はありません。蛙、蝸牛、釣瓶の底もすべて一体です。
特に釣瓶の内部や底部を彫るのは技術、根気共に使う作業だったでしょう。しかしこの途方もない作業の中にも職人のユーモアを感じることができます。上部の輪環はまるで本物の鉄の様に彫りだされており、カラカラと動きます。底には必要ない釘も飛び出ているなど、見る者を楽しませる小気味良い仕掛けが散りばめられています。
きっと正直たちもニヤニヤしながら彫っていたんだろう。そんな想像をしてしまう、楽しい作品です。
size 26-23-34(h)cm 銘あり 共箱
これからの時代を担う頼もしい作家さんに出会いました。
私にとって焼き物の中での「超絶技巧」は宮川香山です。当店でもずっと取り扱ってきておりますし、「もう今の時代では香山の様な仕事をできる人はいない」と思っておりました。しかし、それは間違いでした。このイグアナを見れば皆さまにも分かって頂けると思います。まるで本物のイグアナがそこに居る様です。これが九谷焼きだと信じられませんでした。細部の彫り、肌の質感、細かいパーツそして金属の様な質感をした台座、このすべてが一度に焼き上げられているのです。
田畑さんはまだお若い方なので、これからどんな風な作品を造っていかれるかとても楽しみです。
「イグアナの台皿」 田畑奈央人 size 56-15.5-11(h)cm
本作品は「炎芸術109号 2012年2月1日発売」に掲載されております。
SOLD